定期レポート2012年3月

ソフィア・アイ :東京マラソンに見る世界と戦う力

 

つい先日(2/26)、運よく当選した東京マラソンを走ってきました。
42k走りきるのはいつもながら苦しいですが、あの大観衆の中を駆け抜ける快感は 何ものにも代え難いものがあります。

 

銀座を通過するとき、ちょうど折り返してきた川内選手とすれ違いました。
その時、歩道を埋め尽くした人々からの歓声が1オクターブ下がり、まるで地鳴り のようなうねりとなって沸きあがったのを感じました。
市民ランナーの星・川内選手への国民の期待感は、格段のものがあるのですね。

 

さて、ロンドン五輪選考レースとしての東京マラソンは、勝者=藤原新/敗者=川内 優希という結果でした。ただ、レース前後のこの二人のインタビューからは、共通 するメンタリティが感じられます。

 

藤原選手は、市民ランナーとして頑張る川内選手に対して「彼の活躍からは大きな 刺激を受けた」と述べ、一貫して敬意を表していました。また、敗戦後の川内選手 は、「誰かが7分・6分台を出して五輪へ行ってくれるのなら、自分が存在した価値も あった」と言っていました。

 

そう、この二人の発想は、いずれも「チーム・ジャパン」なのですね。
レース中25k付近で藤原選手がスパートをかける時、集団の日本人選手に対して 「一緒に行こう!」との合図をしきりに送っていました。このような光景を初めて 見ました。もちろん、これは余裕があるからできることでもあり、また駆け引きの 一環という面も否めません。ただ、それ以上に彼には、日本選手全体が一つのチー ムとして機能しない限りは世界と闘うことはできないという暗黙の確信があるよう に思えます。

これは、川内選手の言葉の裏側にある発想も同じです。
世界を目指して協力して頑張る。時には自分が勝ち、時には敗れるが、いずれの場合 も「共通の敵」が世界であることを忘れず、チームがそこに向かっていることを最大 の喜びとする。世界の頂は、このようなプロセスの中からしか決して見えてこないよ うに思えます。

 

日本陸上界は、たしかに各実業団、各大学という単位ではまとまっているかもしれま せんが、それは世界の頂点を目指した団結とは言いがたい面があります。再三指摘さ れる駅伝の目的化(※マラソンよりも、国内の駅伝レースに合わせて選手のトレーニン グを行う傾向)も、そのひとつの表れでしょう。

 

川内・藤原両選手のように、世界レベルの視野を持ち、世界を目指して突き進む若い力 が育っていることが、日本にとって何よりの財産と考えるべきでしょう。
藤原選手は、昨年スポンサー契約が切れ、車を売り払い、自宅も引き払ったといいます。 事実上の無報酬生活の中で、背水の陣で東京マラソンに挑んでいたのでした。
陸連も企業も、そして政府も、こうした力へのサポートに本腰を入れて欲しいものです。

 

ところで、企業活動そのものには、川内・藤原両選手が見せたような世界と闘うスタン スが確立しているでしょうか? 国内での小さな競争よりも、グローバルレベルでの日 本の競争力を高めていく「チームワーク」が存在するでしょうか。
携帯電話をはじめとして、近年の日本製品は国内だけのマーケティングに拘る「ガラパ ゴス化」が指摘されています。先ごろ倒産した国内唯一のDRAMメーカー・エルピーダ メモリの業績不振の背景にも、日本仕様に拘りすぎた製品設計から脱脂きれない経緯が あると言われています。

 

小異を捨てて大同につく。東京マラソンの大歓声からは、改めて世界と闘うパワーが どこにあるのかという教訓が、浮かび上がっていたように思われます。

 


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