定期レポート2011年9月

ソフィア・アイ :労働力商品の行方/人材マネジメント改善のカギ

 

「資本主義経済とは何か?」というのは難問ですが、ごく簡単に答えるとすれば、経済活動の大規模な展開を可能にする仕組みということができるでしょう。
経済は主として生産、流通(交換)、消費の3つのプロセスからなり、その中をモノやサービスや情報が次々と流れていきます。資本主義は、商品・資本という概念を確立することによって、それらのプロセスを大規模に(場合によってはグローバルレベルに)進められる可能性を生み出しました。

 

経済活動が大規模に進む様子は「資本の自己展開(増殖)過程」とも言われ、ともすると「人間不在」をもたらすリスクを孕んでいます。わが国が今まさに直面している福島原発危機は、その象徴といえるかもしれません。

 

さて、ここでは資本主義のキー概念である“商品”に、改めて注目してみましょう。
これについては、近代思想の巨人・マルクスがその主著『資本論』において詳しく説き明かしています。

 

商品とは価値を持ったモノです。しかもその価値は、物が元々持っている「使用価値」ばかりでなく「交換価値」でもあることが必須です。交換価値がなければ物は流通できず、したがって商品とはなりえません。
では、交換価値はどうやって生まれるかと言えば、生産や消費によってではなく交換そのものによって生まれます。「売り手」と「買い手」という相反する立場の主体が、市場でいわば「命懸け」のやり取りをすることを通じて実現されるのです。交換(売買)が成立してはじめて交換価値が生じるのであって、その反対(予め交換価値を持ったものが交換される)ではありません。

 

ちなみに、気になる“貨幣”(お金)は商品の一種であり、その発展形態としての代表選手といえます。ただ、物に値段(お金の表示)が付いているからと言って、そこに交換価値があるとはいえません。その値段では売れないかも知れず、それどころかいくら値段を引き下げても結局売れ残るかもしれません。あくまで、交換価値を実現するのは事実としての交換なのです。

 

そのようにして交換価値を持つ商品は全世界を飛び回ることができるようになります。
ただ、その根底には、「結局売れなければ価値はゼロ」というリスクが付きまとっています。要するに、価値とリスクは表裏一体の関係であり、リスクを犯すからこそ価値が生まれるともいえるわけです。

 

とすると、その“リスク”の中に、どうやら資本主義の正体があるように見えます。リスクとは、期待される成果が実現するかどうかが不確実だということです。なぜ不確実かといえば、価値(交換価値)を生み出すのは結局自分ではなく、自分の支配が及ばない“他者”だからです。決定権は、常に他者にあり、運命の帰趨は他者に握られているわけです。

 

まあ、このように表現すれば深刻ですが、穏やかに言えば、経済活動のあらゆる局面が常に他者(=第三者)の視線に晒される公正な仕組みが資本主義経済ともいえるでしょう。だからこそ、多くの人が自分の人生を賭けて、一生懸命仕事をしているのではないでしょうか。

 

さて、前置きが長くなりましたが、あらゆる物やサービスを商品化していく資本主義ですが、その中に他とは異なる特殊な商品が一つあります。“”労働力商品”です。
『資本論』では、労働力の商品化は、資本主義成立の重要な要件とされています。

 

では、これがなぜ特殊なのか。他の様々な商品・サービスのように、市場で取引されることがないからです。あったとすれば、それは「人身売買」ということになるでしょう。たしかに現代にも「人材紹介業」というサービスがありますが、これは雇用契約の仲介サービスを行っているだけで、いわば労働力を購入する権利を取引しているに過ぎません。したがって、労働力商品そのものを交換しているわけではないのです。「労働市場」という言い方がありますが、正確には一種の比喩表現というべきでしょう。

 

労働力の交換は、「資本家」(または経営者)と「労働者」(※社員)の間で行われています。したがって、真の労働市場は、個々の企業組織の中で閉じられているのです。もちろん、その場合の売り手は労働者で、買い手は資本家です。一般の商品取引と異なり閉じられた市場は売り手である労働者に不利なため、各国において労働法によって労働者の不利な立場を緩和する保護策が講じられています。わが国の労働法にも、雇用の保証、賃金引下げの実質禁止等様々な規定が盛り込まれています。ただ、これについて、ここではこれ以上触れません。

 

注目すべき問題は、労働力商品のあり方です。その特殊性は、取引される環境のみならず、商品そのものに内在しています。労働力の本質が人材の能力だとすると、通常その能力すべてが商品として交換されているわけではなく、交換可能なのはむしろごく一部分にすぎません。例えば、職務知識や職務スキル(※営業員で言えば、商品知識とか顧客折衝技能とか…)は商品化しやすいですが、思想・信条といった個人的な価値観や、趣味に関する能力(例えば、野球や麻雀がうまいとか)は商品化されにくいでしょう。要するに、個々の人材がその人である理由(つまり、個人の人格)に属する領域は、その大部分が普通は商品化されてはいないのです。

 

人材の能力全体と、労働力として商品化される能力には、大きな乖離が存在します。
そこに、人材マネジメントが抱える困難の根本要因があります。
その困難とは、単に給与や処遇を巡る対立にとどまらず、多くの場合、「ビジネスに活用可能な労働力商品の範囲」を巡る価値観の対立といえるでしょう。

 

では、その困難を克服する方法はどこにあるのでしょうか。
ひとつのアイディアは、労働市場(要するに個別企業組織の内部環境)をより公正な市場へと改善することです。様々な情報を公開したり、マーケット基準での人事処遇を実現したりという努力は、現実に多くの企業で行われています。ただ、そこには労働力商品そのものの変化はありません。

 

したがって今ひとつの道は、労働力商品そのものを改善することです。
それは、要するに商品化された領域をより拡大していくことです。
このように言うとネガティブな印象が生まれるかもしれませんが、そのような印象は、結局商品(ひいては資本主義経済そのもの)へのネガティブな見方に起因しています。
本レポート前半でも見たように、商品というコンセプトは、第三者の公正な視線によって実現される価値(交換価値)に本質があります。これは、非経済的な視点で見ても、特段ネガティブなことではなく、むしろ人の本性に適合しているでしょう。

 

自分のコントロールの及ばない「絶対的な他者」に自らの価値を認められ評価されたときのこそ、私たちは勇気付けられるのではないでしょうか。
そのような意味で、今一度資本主義経済の仕組み、そしてその本質的な構造を見直してみることは、経営の改善に向けて不可欠な視点と思われます。

 



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