定期レポート2008年4月

ソフィア・アイ :伊達公子の復活とモチベーションのパワー

プロテニスプレーヤー伊達公子の“復活”は、とりわけ「メタボ症候群」や「年金危機」等暗い話題ばかりに直面する中高年層に、大きな励ましと勇気を与えたのではないでしょうか。
世界ランク4位にあった絶頂期の25歳で惜しまれながら引退してから足掛け12年、よもや再び彼女の勇姿を見ることができるとは誰も思っていませんでした。
その伊達公子の復活が現実になり、そればかりか復帰初戦となる先のカンガルーカップ国際大会で、見事ダブルスで優勝、シングルでも準優勝を成し遂げたのです。
インタビューによれば、3月行われたエキシビションマッチでの、往年のライバル・グラフとの対戦が直接のきっかけになったようです。

(昨年9月から練習を積み重ねる中で、)今までにはなかった、『継続してテニスをしたい』という気持ちが少しずつ大きくなり、試合後にも強まっていった(※WEBサイト/sportsnaviから)

この言葉を逆に捉えれば、引退時の25歳の時には、『継続してテニスをしたい』モチベーションが、彼女の中で失われていたことが分かります。
思い返してみると、4大大会でグラフ選手らと過酷な戦いを繰り広げていた当時の伊達選手の表情には、いつもどこか暗い陰がありました。それに引き換え、最近プレーや記者会見でテレビに登場する彼女の表情には、笑顔が溢れているのが印象的です。
人は、ある対象に対する技能としての能力がどんなに高くても、それに取り組む基本的な意欲が欠けているような活動を持続することはできません。
反対に、本質的なモチベーションを保持してさえいれば、技能をもう一度引き上げ、長期間のブランクを跳ね返して再び志を立てることもできるのです。
どうやら人間の活動には、厳然として次の等式が成り立っているようです。
  【目的達成のための活動エネルギー=技能としての能力×持続的モチベーション】
 
私達はともすると、活動エネルギーを(※特に仕事に関しては)“技能としての能力”という側面だけから考えがちな傾向があります。ですが、それは大きな誤りです。むしろ、持続的なモチベーションは能力の土台であり、その上でしかどんなに優れた能力も有効に機能しないOSのようなものと考えるべきなのです。

 

今回の“復帰”においてさらに驚くべきは、伊達選手の強靭なスタミナです。
長いときは3時間にも及ぶ試合を乗り切る体力はもちろんのこと、先日のカンガルーカップは単複両方で決勝に進んだため、何と1週間にもわたって毎日2試合ずつ行うという超ハードスケジュールでした。
30歳代後半に肉体に、なぜこのようなことが可能なのでしょうか。
例えば、酷暑の中で行われる夏の高校野球甲子園大会で、決勝に進むエース投手達の連投ぶりに驚かされることがあります。記憶に新しい一昨年の決勝戦・早稲田実業対駒大苫小牧の戦いは、ハンカチ王子こと斎藤投手とマー君こと田中投手の息詰まる投げ合いの末再試合となり、2日連続での延長戦でした。
しかし、これと比べても伊達選手が今回のトーナメントに要したスタミナは、まったく引けをとらないか、あるいはそれ以上なのではないかと思われます。
そのスタミナは、一体どこから生まれるのでしょうか?
そのヒントの一端を、月刊誌『ランナーズ6月号』掲載の本人インタビューから知ることができます。
それによれば、引退後の伊達選手は、各地を回って子供達のテニス指導に携わる傍ら、基礎トレーニングの積み重ねを欠かさなかったようです。特に、習慣となっているランニングは毎日10キロ以上を必ず走り、過去に出場したロンドンマラソンでは3時間強のタイムで42.195キロを走りきる実力と言います。
結局、25歳の時には一旦失われたかに思われたテニスへの情熱は、そのマインドの底流にマグマのように脈々と渦巻いていて、いつか再び噴き上がる準備を続けていたのでしょう。その情熱の持続があり、その中で保持された体力があったからこそ、今回の復帰へ向けた半年間の集中トレーニングもまた可能になったのでした。

 

残念なことに、私達は、能力とモチベーションの両立という幸運に常に恵まれるとは限りません。むしろ、高いモチベーションを持つときに、最高の能力を得ることのできる人はごく少数でしょう。
であれば、大切なことは、自分のマインドの底流にある“持続的モチベーション”を見つめ直し、今一度しっかりと捉えなおしてみることではないでしょうか。それがあれば、いつでも「復活」が可能なことを、伊達選手は無言のメッセージで示してくれました。
かつて著名な考古学者・シュリーマンが、幼い頃感動したホメロスの叙事詩に登場するトロイア遺跡発掘に着手したのは48歳のときでした。わが伊能忠敬は、50歳で隠居して息子に事業を譲った後、江戸に出て幕府の天文方・高橋至時に師事して一から測量術や天文学を学び直しました。そして、あの精巧な日本地図製作のため測量の旅に出たのは、何と56歳の時です。
志を具現化するのに、遅いということはないのです。

 

さて、メタボの影に怯える私達中高年の“持続的モチベーション”は何でしょうか?
そのパワーを基礎にして、明日からまた再び歩き始めたいものです。

 

読書ノート3 : 菊池恭二著『宮大工の人育て』(祥伝社新書刊)

もう10年くらい前になるでしょうか。NHKのかつての人気番組『プロジェクトX』で、薬師寺金堂の再建を成し遂げた宮大工の棟梁・西岡常一氏が取り上げられたことがありました。すでに番組内容を詳しく憶えてはいませんが、そのときは、古来の伝統技法を受け継ぐ宮大工という仕事の壮大さに感銘を受けました。
さらに、番組最後に紹介されていた西岡氏の次の言葉が非常に印象に残りました。
  「木の癖組みは人組みなり。人組みは、人の癖組みなり。」
「木の癖組み」とは、木材にはそれぞれ育った場所の日当たりや山の斜面の向き等によって同種の木でも性質が大きく異なっており、それに相応しい建物の箇所に配材しなければならない意味のことを言っています。
印象的だったのは、棟梁であった氏が、その木の生かし方と人の活かし方(≒育て方)を、全くパラレルに考えていた点です。
ともすると建築技法のみに注目しがちな寺社建築ですが、その土台は、古来の技能を継承しながら人を育て個性に応じて活用し最高のチームに組み立てていく人材マネジメントにあったのです。

 

さて、本書は、その西岡氏に7年にわたって師事した経験を持つ、やはり宮大工の棟梁である著者の手になるものです。
中卒後大工見習いとなり、金堂建設中の西岡棟梁に「飛び込み」で師事した苦労人である著者の経験とそこで掴んだ教訓は、宮大工という範疇を超えて、学習と成長、そして人材育成全般に関する示唆に満ちたものとなっています。
■本書の構成
第1章:大工の徒弟修業
第2章:西岡常一棟梁の教え
第3章:奥深き「社寺建築」の世界
第4章:木の癖、人の癖を読む
第5章:棟梁の仕事、棟梁の器

 

本書に全体を通じて書かれているのは、徒弟教育、そして徒弟型の濃密な人間関係に基づく人材育成の、得がたい実体験ドキュメントです。
そのように考え、現在ある電子部品メーカーで進行中の社内教育プログラムの指導者層への課題図書にしてみました。
10名の指導者はそれぞれ熱心に本書を読み、レポートはそれぞれ特徴のある内容が提出されてきました。
その結果、本書に盛り込まれた多くの内容の中で、ほぼ全員が共通して次のポイントを印象深く受け止めていることが分かりました。
■読書レポートの共通理解ポイント
1.「詰め込み」ではなく、先輩や指導者の見よう見まねを通じて、深く考えて自分で答を掴むプロセスが重要。
  ※そのためには、指導者が「問いかけ」によって考える契機を与え続けることも重要。
  ※指導される側は、それを受けて単に考えるだけでなく、「わが身を振り返る」学習に至ることが必要。
2.「好き」、モチベーション、「(やりたくて)うずうずする感覚」、好奇心、探究心といったものが、成長において最も重要。
   ※好奇心は「ほめる」プロセスを通じて高まる。
※好奇心が分散する社会が現代。⇒別名「多様化」と言って肯定されることも多い
3.人材活用には「短所も活かす」発想が必要。不器用な方が、長期的にはよく伸びる。
※技量の“土台”が大きくなる。

 

上のポイントは、いずれも本書の中で、自己の成長においても人を育てる点でも、著者が繰り返し強調しているポイントです。
上記3点に共通するのは、人材を分け隔てするのではなく、長期的な視野から確実に育てていこうとするスタンスです。
その背景には、人が育たない深刻な状況、近年の業績重視のマネジメント中で近視眼的になりがちであった人材マネジメント、そうした中で徐々にしかし確実に薄まっていく組織内の人間関係等への「反省」も込められているように思えます。

 

また、何人かのコメントの中には、本書の内容を契機にして、自分の新入社員のときの失敗や反省、そして上司や先輩の指導への感謝を振り返る記述が含まれていました。
そこからは、日本企業組織の中に、外から大げさで斬新な経営手法を導入したりしなくとも、過去を肯定し思い起こす中から、新たなパワーを掴み取る潜在力があることが見て取れます。

 

本書中盤にある、西岡棟梁へ入門を必死に頼み込んだ時の回想の部分は非常に印象的です。
■30年前の自分の姿
(NHKの取材映像にたまたま残っていた自分の姿を見て……)
……残念ながら音声はなくて、映像だけですが、そこには紛れもなく21歳の私がいました。岩手弁で何かを必死にしゃべっているのですが、訛りがひどくて、たぶん何を言っているのかわからないのでしょう。棟梁はタバコをふかしながら、ちょっと困ったような顔をしています。それでも精一杯、「社寺建築を学びたい」という思いを伝えようとしている私の顔は、自分で言うのもなんですが、いい顔をしているのです。
録画時間にしてわずか4分。無声の映像の向こうで棟梁の前に正座している私は、極度の緊張の中で、それでも必死に未来をつかみとろうとしていました。

 

仕事とその中にある価値を長い時間軸の中で見つめること。そして、後から振り返ったとき、よい面悪い面を含めて自分の経験を肯定できるように、目の前の課題に真摯に向き合い取り組んでいくこと。
本書が思い起こさせてくれるのは、そうした人生に対する、ごく当たり前の姿勢に他なりません。




※配信登録をしていただくと最新レポートを電子メールでお届けいたします。

※ご入力いただく情報は、SSL暗号化通信により保護されます。
※「個人情報」は、弊社「プライバシーポリシー」に基づいて適切に保持」いたします。

            

会員登録